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獅子林の簡単紹介

獅子林は蘇州の四大名園の一つで、これまで650以上の歴史があり、元代の園林の代表作である。江蘇省蘇州市城区東北角の園林路23に位置し、東側、西側がやや広い長方形の平面となっていて、敷地が1.1ヘクタール、開放面積が0.88ヘクタールという。1982年に江蘇省文物保護単位となった。園内では、築山が多くて、長廊が巡られ、楼台が立ちはだかられ、曲がり道が静かで、迷宮に入るような感じがする。長廊の壁には宋代の四大名家の蘇軾、米芾、黄庭堅、蔡襄の書法碑及び南宋の文天祥《梅花詩》の碑刻作品が嵌められている。

東南側に山、西北側に水が多くて、周囲に壁の高い住宅があり、曲がり廊に包まれている。中部の水池を中心として、山の中で家を作ったり、花や木を植えたり、橋や亭を設置したりして、全体の配置をコンパクトにすることで、「咫足山林」という意境をもたらす。獅子林は蘇州古典園林の亭、台、楼、閣、庁、堂、軒、廊の文化景観だけでばく、湖の山や石、深い洞窟で有名となり、「築山の王国」として知られている。獅子林の湖の山や築山は多くて美しくて、湖の石が絶妙で、洞窟が曲がっていて、迷宮に入るような感じがして、「桃源の十八景」と呼ばれている。洞窟の頂上では奇妙な峰た石が並べられ、獅子のように舞っている。含暉、吐月、玄玉、昂霞などの名峰があるが、獅子峰をそのトップとしている。園内の建築はいずれも燕誉堂を主としている。

獅子林は元々菩提正宗寺のバックガーデンで、西暦1341年、高僧天如禅師は蘇州へ講経を行いに来て、弟子たちの支援を受けているという。翌年(元代最後の皇帝である順帝の至正二年)、弟子たちは土地を買って天如禅師のために禅林を作るという。園は元代の至正二年(西暦1342年)から建設開始され、天如禅師の維則の弟子によってその師のために作られ、最初「獅子林寺」と名付けされている、その後「菩提正宗寺」、「聖恩寺」と改名されたという。歴史の記載によると、元末の名僧である天如禅師の維則の弟子「相次いで出資し、土地を買ったり家を作ったりして、その師の居場所となり」。

園内では、「林に一万の竹があり、竹の下に奇妙な石が多くて、狻猊(獅子)の形状をしている」のせいか、天如禅師の維即が浙江天目山獅子岩普応国師中峰で得法したので、仏教徒の衣鉢、師父・弟子の伝承関係を記念するために、仏経の獅子座の意思を取り上げて、「師子林」、「獅子林」と名付けたという。仏書に「獅子吼」の言葉(「獅子吼」とは禅師が経文を教えること)が記載されているもその一因で、且つ多くの築山が獅子と似ているため名付けたものである。維則は当時の園景と生活シーンが描かれている《獅子林即景十四首》を書いた。園が完成された後、たくさんの当時の画家がそこへ参禅に来て、書いた詩を「獅子林記勝集」に収録している。天如禅師が亡くなった後、弟子たちが離れ、寺園は徐々に荒廃化していた。

明の洪武六年(西暦1373年)、73歳の書道・画家倪瓚(称号:雲林)は蘇州を経由する途中で、造園に参与したことがあり、詩や画(例:《獅子林図》)を創作することで、獅子林が有名となり、仏家の講経や説法と文人創作の観光地として知られている。清の乾隆初、寺園は私産と化し、寺殿と隔離され、渋園と呼ばれ、また園内に五本の松があるため、五松園とも呼ばれている。1917年、顔料の買弁商人である貝潤生に購入され、9年の建設、拡張を経ても、依然として獅子林(園の東側は貝氏家祠、族学と住宅)の名をそのまま保持していた。

明の万歴十七年(西暦1589年)、明姓の和尚は鉢を持って長安で化縁し、獅子林の聖恩寺、仏殿を再建すること、その繁栄を再現したという。康熙年間では、寺、園が分けられた後、黄熙の父親である衡州知府の黄興に買い取られ、「渋園」と名付けたという。

西暦1703年2月11日、清の康熙帝はそこへ巡遊し、「獅子寺」という匾を賜り、その後清の乾隆帝は獅子林を六回巡遊し、相次いで「鏡智園照」、「画禅寺」及び既存の「真趣」など匾を賜っていたという。清の乾隆三十六年(西暦1771年)、黄熙は状元を高中し、官邸を建設して庭園を整え、「五松園」と名付けたという。清の光緒の半ばごろ、黄氏が衰えたため、園は荒廃し、築山だけそのまま残っている。

西暦1917年、上海の顔料大手である貝潤生(世界有名建築家である貝聿銘の大叔父)は民政総長である李鐘钰から獅子林を購入し、また80万の銀元を使って、7年近くの時間で改築を行うことで、一部の観光地を追加し、旧名の「獅子林」と名付けた。獅子林は一時蘇州で有名となった。貝潤生は園を公開するつもりが、日中戦争のためその願いが叶わなかった。西暦1945年、貝潤生が病気で亡くなった後、獅子林はその孫である貝煥章に管理される。解放後、貝氏の子孫がその園を国家へ献上し、蘇州園林管理処によって管理・改築された後、1954年に公衆へ公開した。

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