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真趣文化

弘歴は乾隆二十二年(1757)の二回目の南巡から、合計6回獅子林を観光し。

匾3枚、詩10首を書いたことがある。彼は自ら倪瓚の師子林図を複写し、呉中に永遠に隠れるよう命じた。最初は、乾隆丁丑(1757)に獅子林を観光し、「鏡智園照」という匾に一首の詩を書いた。その内容は「深い谷に居ると疑われるが、市街地に居るみたくて、建設したい人がなく、他の者に所有される。(注釈:現在の黄氏渋園)」という。二回目(壬午年、1762)は、「画善寺」という匾を賜り、一首の詩を書いた。三回目(同年)は、「真趣」という匾を賜り、三首の詩を書いた。また、「生員黄軒、黄藤驤著にそれぞれ一匹のサテン(図1-10、1-11)を賜り、閏二月初日」という。四回目は(乙酉年、1765)二首の詩を書いた。五回目(庚子年、1780)は一首の詩を書いた。六回目の甲辰(1784)は二首の詩を書いたという。

乾隆三十六年(1771)、蘇州織造に獅子林の建築、山や池をモデルにして京へ送るよう命じた。長春園、避暑山庄で模倣建設を行うという。